デザイナーがデッサンから学べること
イーゼルの前に座って鉛筆を持ち、リンゴや瓶、石膏像などを描くデッサン。学生時代、美術の授業でやったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。目の前にあるモチーフを、鉛筆と消しゴムを使って紙の上に再現する。それだけのシンプルな行為ですが、その中にはデザイン制作の現場で役に立つエッセンスがぎゅっと詰まっていると思います。
観る力を養う
私がかつて美大の受験生だった頃、通っていた予備校で気付いたことのひとつが「上手い人は、描いている時間より観察している時間の方が長い」ということでした。やみくもに手を動かさないのです。
ここでいう観察とは、ただ対象をじっと見ることではありません。モノ同士の重なり方や交差する角度、奥行き、材質などを注意深く見極め、データとして把握していくことが重要です。目の前のモチーフのどこを切り取り、画面にどのサイズで配置するかも同時に考えていきます。上手な描き手ほどこの観察の精度が高く精緻です。
また、デッサンの目標は、単純に言ってしまえばモチーフをリアルに描くことです。しかし、この「リアルに」というのが厄介で、見えたままを描いても意外とリアルになりません。リンゴのリンゴらしさ、瓶の瓶らしさを実際よりちょっと強調し、質感を補正して画面に落とし込む。対象の構造をしっかり理解したうえで多少の演出を加えることが、絵をより魅力的にしてくれます。
そのモノの「らしさ」を発見し引き出す力。そしてモチーフをロジカルに、冷静に観察する視点は、制作の現場で「このデザイン、どこかが違うな…」と感じた時に、その「どこか」に気付く思考の土台になってくれます。作業を進めるうちに次第に視野が狭くなり、デザインを冷静に観ることが出来なくなってしまう、というのはよくあることです。たまに立ち止まって「これでいいのか?」と全体を俯瞰し、クールに捉える視点を持つことが、いいクリエイティブにつながっていきます。
考える力を養う
デッサンとデザインは、両者とも「計画を記号に表す」という意味の単語 ”designare” が語源であるといいます。往々にして、グラフィックデザインとは物の表面を飾ること・美しくすることだと思われがちですが、その本質は、問題解決のために物事の関係性を整理し、情報を取捨選択し、構築し直すことにあります。パソコンやタブレットが普及したことでクリエイターの裾野が広がった現代。綺麗な丸を描くこと、まっすぐに線を引くことなどの技術だけに価値を付加するのは難しい時代です。そこでデザイナーができるのは、徹底的に「考える」ということ。デザインを依頼されたサービスや製品のこと、クライアントが抱えている問題、クライアントの先にいるユーザーのこと、そのさらに先の社会のこと。いろいろなことを観察し、考え、制作し、立ち止まって考え、また制作する…。デザインの仕事はその繰り返しです。このプロセスはデッサンとよく似ています。また、デッサンにもデザインにも、作るものにはモチーフ(相手)が存在しているという点も共通しています。答えは自分ではなく、常に相手側にあるのです。
まとめ
もちろん、純粋に描画力を磨くことにも繋がるデッサン。ちょっとしたイラストを描いたり、アイコンを作ったりする際には、この経験がもっと直接的に生きてきます。抽象化する=モチーフの特徴を抽出することだからです。
今までいろいろと述べてきましたが、デザイナーにとってデッサンは必須スキルではありません。しかし、より高い感度で対象を観察する視線や、普段は意識しないことに意識を向ける思考回路づくりの練習として、有効な手段の1つではないでしょうか。
グラフィックデザイナー / S.M